自分史・RO。1日目

今月に入ってHDDの損傷によるデータの消失によりROのSSやログ、あるいはUTのSSやプレイデモが消えてしまって、
先週辺りからネットゲーでの自分史というのを書いて記憶を整理したいと常々思っていた。
バイト中などに構想を練りつつバイトから帰るとゲームを始めてしまいいつのまにか5時という毎日だったのだが、
今日は自分に発破をかけて書き始めてみた。
見ている人には興味のない話が続くと思うのだが元々ここは自分のメモ的な意味合いも大きいので許して頂きたい。


RO史とUT史を同時に書くとすごい事になりそうなので今晩はRO史を書く事にしたい。
まずはROを始めたβ1、時期は2002年2月頃。丁度日鯖名物GM、ひゃっくたんが辞める頃。

〜β1初期・Chaosにてnovice「Samlie」作成〜

当時の俺はオンラインRPG自体始めたばかりという事もあってGMとは何かもGMをやってるHyackの事もさっぱり知らなかったりする。
俺はこの時期知人に勧められChaosでROでの初めてのキャラ「Samlie」を作り、プロ東でザコいmobを狩ったりゼロピーや綿毛、たまに出るべと液を持って代売り商人のところに持っていくという連続で(ゼロピーや綿毛はOC10でも値段変わりませんが当時は本当に慣れてなかったので)、
代売りや代購商人の前に列が出来ているというだけでもの凄く新鮮だった自分はまさにオンラインRPGnewbie。右も左も分からない超初心者だった。
この生活を1ヶ月ほど続けて剣士に転職。そもそも初期ステータスall5からいじれる事すら知らなかったという初心者ぶり。
変化が訪れるのはROを勧めてきた知人からGD1Fを勧められてからである。

〜β1・GD1F〜

当時GD1Fに居たmobはポイズンスポア、スポア、ゴーレム、スティールチョンチョンと記憶しているが実際のところどうだったかはよく覚えていない。
アクティブmobのいるmapは初めてでそこにはβ1特有のルールがあった。
「長くmapに居る人ほどからまれる」いわゆるフェロモンシステムというやつだ。β1を過ごしていた人には懐かしい用語だと思う。
そのGD1Fのここに、俺はβ1が終わるまでずっと居た。

SSは先ほど撮ってきたのだが、露店とこんな雑用にしか使われない自分のオーラBSが可哀想である。装備もいつも頭しかない。
今はごくたまに飛び回る人しかいない見事なBOTmapになり果ててしまったが、当時のGD1Fにはところ狭しと人が居た。
GD1Fに限らずFD(フェイヨンは本来Payonだがピラと区別を付けるため皆FDと呼ぶようだ)、旧狸山。GHもまだなく当時の人気mapであるここらには廃に手の届かない一般のプレイヤー達がひしめいていて、
あるいは自分の近くにmobの沸くのを待ち、あるいはアクティブmobにタゲられるのを待ちながら付近の人と雑談していた。
俺もまたβ1β2と廃とはほど遠いプレイをしていたので俺のβ1の記憶といえばGD1Fでのものがほとんどだ。
今ではカプラ職員に統合されたが当時はまだ転送屋がいて、伊豆には各街に100zで飛ばしてくれる転送屋がいたため、セーブは常に伊豆だった。
死んだら伊豆に戻りゲフェンに飛び、SSの位置に居座ってそこで周りの常連と延々話しながらタゲられたmobを狩る。たまにハッスルして近くを通りかかったゴーレムに挑む。
こんな俺はなんとβ1のほぼ終わりまでプロンテラとゲフェンとイズルード以外街がないと思っていた…
GD1Fでの同じような生活をした人には懐かしい話かもしれない。
俺はβ2が終わるまでROについてはwebで調べるような事もせず自分のやっていた剣士以外の職の事はほとんど知らなかったが、当時はそういう無知が教えてくれる楽しさというのがあったように思う。
ROの世界自体がまだ荒削りで、要領のいい廃は海賊船やGD2F、ピラなどの廃御用達のmapでレベルを上げていたようだが、
ほとんどの人間は俺のように馴染みの場所で回りの常連と至極まったりレベルを上げていく。
気まぐれにDに訪れ「アンゼルス」をかける時報アコや、たまに現れる日鯖常識の横殴り(kill steal)が分からず説教される外人など、
当時を形成する要素は生産には直接結びつかないもの、いわばプレイヤー全員でやる暇つぶしそのものがROであるかのようで、
生産を特化武器によって効率的に行う人が大多数を占める今のROというのは生産のスピードが速すぎて物価やワールドの成熟度の上がり方も早いのだが、
当時のROというのは廃的手法というのが本当にごく一部の廃の間だけのもので全体の9割はまったりと時間がただ過ぎていくプレイヤーであったようで、ワールドの成熟も非常に緩やかだった。
ここで言うワールドの成熟というのは例えば特化武器や精錬防具が広く使われていたり、高レベルのキャラクターが増えすぎたり、または効率的な狩りのスタンダードな手法が広く伝わってしまい、既存のDでは満足出来ない人が増えてしまう事である。
例えば今ではブレス10IA10とか、SGとかどの職にもスタンダードと言えるスキルがあり、狩り方にしても「みんながやっている」やり方というものがあるが、成熟していない時期というのはまさに皆試行錯誤、もしくは試行する事すら考えつかないのである。


自分史から逸れてしまった。しかしβ1の考察というのはこれはこれで書き残すべき当時の思い出の一つでもあった。
GD1Fにも時報をやりにくる馴染みのアコが俺や近くの顔なじみにIAをかけていく。チャットが消えたら一斉にスタートしてGD1Fを一周する。GD1Fレースだ。
自分の中で一番古いIAをもらった記憶はこのGD1Fレースだった。
レースに参加していた当時の馴染みで名前を覚えているのは剣士のbendaughter、商人のZANGI-Fくらいでもうほとんど名前も覚えていない。
bendaughterは俺の会った最初の廃で当時既にAGI99で90レベル程度はあったと思う。DOPや超の常連だったようで、Chaosの元廃は名前を知っている人も居るかもしれない。
ある時GD1Fのちょっと離れたところに居たshinというシーフと仲良くなり、パーティに誘われた。これが自分の中でもっとも古いPT参加であった。
当時まだギルドが実装されていなかったのでPTというのは結構重要なものだったのである。今で言うギルドが当時のPTだった。
このPTに参加した時「新人には必ずやってもらっている」というGD2Fでの馬とのタイマンも懐かしい思い出で、奮発して赤Pを50本ほど積んで馬に挑み、なんとか一人で倒したがバッシュ以外damが通らないというヘタレぶりであった。
このPTではPTMの結婚式に参席して初のアルベルタを拝んだり、PTMで伊豆D3Fやピラ4Fに行ったりといった思い出もあるが一番印象的だったのは、
PTMの、名前はもう覚えていないが男剣士に「接続時間が少なく女房にレベルが追いつかないので、仮にBOTを使うとするとどう思うか」と聞かれた事である。
まさしく成熟していない世界らしく今であればありえない質問なのだが、俺は確か「レベルというのは自分で上げるから意味があるのでBOTを使うような人間は信用できない」というような事を答えたと思う。


BOTといえばこの頃からちらほら初期koreの使用者が出始めていて、GD1FでもBOTが登場していた。BOTは1日中動いているとフェロモンもとんでもない事になるので常に多くのキノコに囲まれていた気がする。
余談だがよくこれを利用してvitの高い人が寝afk中に自分を壁として提供したりしていたものである。中には自分の知らない人が殴っていると怒る人も居たりして、怒り方の厨房っぽい人は恐らく今も厨房っぽいキャラクターをしているのではないだろうか。
少々危険な脱線をしてしまった。このBOTの使用者だがkoreが海外製だった為か外人が多かったようだ。β1後半のキーワードは外人であるというくらい外人にまつわる話は俺の周りにも多かった。
まず6月頃から俺のすぐ左で狩りだした女剣士がカナダ人のsarahであった。レベルも一緒(51)で英語がとても堪能とは言えない俺の英語力を褒めてくれたり(当然社交辞令ですが)、人なつこい子だった。β1が終わるまで居た記憶がある。
新しく作り出したvit商人が下水3Fで仲良くなった男シーフのJohnはイングランド人で、よく音楽の話をした。
もっとも格別仲良くした外人はβ1ではこの二人だけで、後の記憶といえばspamをまき散らす外人や横殴りを説教される外人、クライアントが違うからかfuckと半角で発言できる外人などあまり良い物は少ない。
しかしだからといって外人全てがspammerや横殴りばかりしていた訳でもないのは言っておきたい。
またROがタイで爆発的に人気が出た事もあり、JPのROにも1000人弱のタイ人が居たようだ(Chaos全体の人数は5000人程度)。タイサーバーがなかったので大量のタイ人がiROとJPROに集中したのが原因のようだ。
上記のBOT利用者はタイ人が多かったとされているが外人全体に占める割合でもタイ人が圧倒的だった。GD1Fでもよく知らない言語で会話している団体がいると思ったらタイ人の集まりだったということはよくある。
またタイ人には限らないと思うのだが外人のトレードマークといえばGD1Fで人の出したハットを勝手に拾って被る人が多く、「ハットといえば外人」という笑い話も懐かしい。
俺達はGD1Fに2,3人いるかいないかのBOTに対して大いに憤慨していたものだがあの当時の自分達が今のROを見たらどう思うだろう…


shinのPTに参入して1,2ヶ月のうちにRO_JPはβ2を迎える事になりその準備期間、日鯖のROはクローズする事になった。
そこに国際鯖(iRO)では1ヶ月早くβ2が始まるらしいとの情報が入り、俺は定位置付近の仲の良かった女剣士と国際鯖で落ち合う事にした。
馴染みの顔とまた会おう、今度はβ2で、と別れを交わしクローズされた日鯖のβ1。再びそこに戻る時には皆ばらばらになるとは思いもせずに。


〜疲れたので続きは明日〜